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「じゃあコナツ、後は頼んだよ」

「はい、了解しました」

 アヤナミを無事官舎の自室まで運んだ後、ヒュウガは参謀部へ一度戻り、アヤナミの休暇の処理と己の勤務の偽装を指示していた。

 アヤナミのあの状態が、今後どんな事態を引き起こすかわからないが、今までにない程に心身共に弱っているように思える。2、3日は様子を見るべきだろう。

 ヒュウガも共に休暇をとっても良いのだが、現状を未だ把握できていないので、予想外の事態に陥った時にある程度動けるような体勢を整えておく必要がある。会議等に出席したり、執務室に篭っているアヤナミと違い、内勤時参謀部に居てもまともにデスクワークもせずに、出歩いたりしているヒュウガの不真面目さは皆認識しているので、表向きは内勤、何かあれば、必要に応じてコナツと連絡を取り合って調整してもらうことにした。

 事実とはいえ聊か不本意ではあるが、こういう時は、己の普段の所業への認識を感謝するべきか。それに参謀部にアヤナミが居なければ、自分のするべき事等ここにはないとヒュウガは思っている。そんな迷惑な思い込みが、ベグライターであるコナツの頭を悩ませる事になっているのだが、それは諦めてもらうほかない。

 もとより急な戦地への遠征や、上層部のまずい作戦行動の後始末などを秘密裏に行うことが多い参謀部だ。誰かが欠けているからといって、特に問題はない。

 アヤナミの方も定例会議は仕方ないとして、幸いその他の軍議など、急を要するものは今のところない。休暇を取っているとなれば、余程の事がない限り、呼び出されるような事もないだろう。

「あの…、ヒュウガ少佐」

 当面の指示をした後、重い扉を開け部屋を出ようとした時、コナツに呼び止められ、後ろを振り返る。

「アヤナミ様は、その…大丈夫なんですか?」

 心配そうに尋ねるコナツに、ヒュウガはいつもの笑みを浮かべて、明るい声で答える。

「オレがついてるんだから、心配ないって。コナツは知らないだろうけど、こんな事は今までに何度もあったし」

 それに、こんな事でもないとアヤたんは休もうとしないからさ、とヒュウガは苦笑する。

「そう・・・なんですか?」

 参謀部に配属されて間もないコナツが見た限りヒュウガは、いつも飄々としていて、軽口を叩いてアヤナミに鞭やザイフォンで制裁を加えられようとも全く反省の色を見せず、いつも不真面目な様相を醸し出し、他人を煽てて逃げるのが上手い、かなり適当な人だ。その割に、いざと言う時は皆の不安を払拭させるような頼もしさがあり、何事にも動じない、何よりコナツにとっては憧憬すべき存在だ。――内勤時は全く仕事をしてくれない、ただの困った上官でしかないが。

 コナツはいつもと違う、これ程慌てたヒュウガを見た事がなかった。戦場でさえ薄い笑みを浮かべながら、数多の人の命を奪う、ヒュウガの真剣な顔を。

 戸惑いながら、上目使いでヒュウガの顔色を伺っているのを見て、ヒュウガはコナツの不安を煽ってしまった己の余裕のなさに心の中で舌打ちする。

「大丈夫だって。もしかしたらコナツにまた何か頼むことがあるかもしれない。迷惑かけるかもしれないけど、何かあったらよろしく頼むよ」

「迷惑なら、いつもかけられてますから」

 今更そんな事を言う必要はないと、コナツは小さく溜息をこぼし、苦笑する。何があったとしても、結局面倒事を一手に引き受けるのはいつもコナツなのだ。尊敬する存在に頼りにされるのはうれしいが、それも度が過ぎるとうれしさも半減する。都合の悪い事や自分が面倒な事を押し付けられているのだとわかれば、尚更。

 今回に限ってそんな事はないのだろうが、今までのヒュウガの所業を思うと、手放しに喜ぶことができない。

「ダメだよ、コナツ。そんな顔してたら、誰かに気取られちゃうよ? 作戦行動中に隙を見せたら敵の思う壷。オレに余裕がなくても、コナツはしゃんとしててくれなきゃ」

 この場合の敵は、恐らく戦地で兵士や戦闘奴隷を相手にするより性質が悪い、老獪な連中だ。戦場で余裕がないヒュウガなど想像もつかないが、だからこそこんな不測の事態では不安になってしまう。

「そんな事っ!、……わかってます」

 内心を見透かされたようで、つい大きな声が出る。コナツは改めてヒュウガと向き合うと、自分よりかなり上にある、サングラスで覆われた目を睨み返した。

「うん、頼りにしてるよ。ゴメンね」

 ウインクしながら軽く手を上げて、足早に参謀部を後にするヒュウガを見送りながら、コナツは再び溜息を漏らした。

 参謀部に配属されてから、コナツはずっとあの二人を見てきた。――正しくは『二人』ではなく『ヒュウガ』なのだが、ヒュウガを追うといつもその先にアヤナミがいるのだから、必然的に二人になる。

 アヤナミといる時のヒュウガは、いつも張り付いたように見せる本心が読めない笑顔とは違って、どことなく表情が柔らかに見える。素直に怒ったり、喜んだり、普段よりも普通の人間のように思える。アヤナミも表情や態度に表れることはないが、どことなく普段と纏う空気が穏やかであるように感じる。

 行き過ぎた行動の末、制裁を加えられた後、ヒュウガは必ずと言って良い程『アヤたんがオレを虐める』だの『全然信用してくれない』等とコナツに泣きついてくるのだが、ヒュウガがアヤナミに『信用されていない』とは思えない。何事にも合理性を求めるアヤナミが、戦闘能力が桁外れに優れているという理由だけで、普段はろくに事務処理もしないで遊んでいるような人間を傍に置く等、考えられないからだ。……虐める云々は明らかにヒュウガが悪いとしか言いようのない、コナツから見れば実に下らない原因である事がほとんどなので、自業自得ではあるが。

 二人が士官学校以来の腐れ縁的な付き合いだという事は、ハルセやクロユリから聞かされていたし、事ある毎にヒュウガが聞いてもいない事を語ってくれるので知っていた。長い付き合いで互いが互いの扱いを良く知っていると言うのもあるかもしれないが、いつもアヤナミは不機嫌ながらもヒュウガの言う事だけは聞く。

 それはアヤナミがヒュウガを信用していると言う事に他ならないのではないか。
 これまで共に重ねて来た時間がそうさせているのか、それとも別の何かがあるのか。知りたいとは思うものの、踏み込んではいけない領域のように感じるので、敢えて詮索はしないようにしている。

「さぁ、仕事仕事」

 背筋を伸ばして気合を入れ直すと、コナツはヒュウガの机に乱雑におかれている書類の山を整理し始めた。自分は今やるべき事をすればいい。ヒュウガの言う通り、余計な心配をする必要はない。――わかってはいるのだが。

「結局これも全部私が処理しなきゃいけないんですね」

 指示された書類の作成をしつつ、何事も起こらなければいいと、コナツは心の中で呟いた。

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