内なる魂の叫び

※アヤナミ女体化序章
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 遠く、何処までも続く闇の向こうから、聞き覚えのない女の声が聞こえる。

 何かを語りかけているようにも聞こえる声は、いつしか悲しくすすり泣く声に変わり、体中で木霊するように響き渡る。聞いているうちに闇に引き込まれそうになる程、憂鬱な音色だ。

 己の意識入り込もうとしているのか、ねっとりと内側から撫でられるような感覚に嫌悪感を覚える。

 幾重にも重なって降りかかるそれが何を言っているのか全く解らない。

 それが一層不快感を煽る。

――貴様は誰だ? ここから出ていけ。

 強い意志で念じると、響く声はすうっと彼方に消え、無限の闇だけが残った。

 安堵するのも束の間――


 それは繰り返される。 昼夜を問わず、何度も。

 そして忍び寄るように、近づいて来る。



 建物を振るわせるように響く鐘の音。否応なく鼓膜を振動させ身の内に入り込んだそれは、身体に重い痺れだけをを残して消える。

――煩わしい。いつもならこんな余計な音など、意識の外に追いやることも可能なはずなのに、一層身体を重く締め付けられるような感覚に襲われ、アヤナミは苛立ちを募らせていた。

「……アヤたん、大丈夫?」

 不意にかけられる聞き慣れた声の方へ、視線だけを向けるとヒュウガが斜め後ろから己の両肩を抱えて立っているのが見えた。

「倒れるかと思った」

 そう言われて気付いたが、どうやらバランスを崩してふらついたようだ。傾いたまま抱きとめられていたらしく、視線を前方に戻すと平衡感覚がおかしいのか、景色が歪んで吐き気を覚えて、アヤナミは顔を歪ませた。ゆっくりと体勢を立て直そうとするが、地に足が付いているのかさえ怪しく、雲の上に立っているように不安定さに吐き気さえ覚える程だ。

「…大丈夫だ」

 それでも無理矢理自分の足で立とうとするがそれは叶わず、結局アヤナミはヒュウガに後ろから支えられる形でやっと立っていられる状態だった。

「嘘。自分で立っていられないじゃない。…今朝は少し顔色良さそうだったから何も言わなかったけど、ここんとこずっと調子悪かったでしょ」

 数日前から、アヤナミの体調がおかしかった事に、ヒュウガは気付いていた。多少の異常ならば気取られるような態度は見せないので余程注意していなければ気付く者もいないが、四六時中、と言っていいほどアヤナミの傍にいるヒュウガが、アヤナミの異変に気付かないはずがない。今朝の状態を見た限りでは取り立てて騒ぐような事でもないと判断して、敢えてアヤナミには何も言わなかったが、何処となく纏う空気が違っているようには感じていた。体調、というより精神的な何か、なのだろうか。

 以前にも似たような事があったと、記憶を逡巡させる。そう、アヤナミがラファエルの封印を解いて己の『魂の起源』を知った時だ。しばらく精神的に不安定な状態が続き、それに伴い体調を崩す事がままあった。その後も常識では考えられないような異変を、ヒュウガは度々経験している。

 もしかしたら今回もそれに近い何かかもしれない、とヒュウガは漠然と考えていた。

「ここまで付き合ったら十分でしょ? 少しは自分の事も考えてよ。こんな上層部のお偉方が大勢いるところで、何か起きたら元も子もない」

「それでも避けて通れぬものもある」

「これが?」

 眉を顰め周りの喧騒を見渡しながら、ヒュウガはアヤナミの肩を掴んでいた手をゆっくり下へ移動させ、細い腰に手を回し、体勢を整える。不自然にならないように抱きとめている身体が震えているのを感じて更に眉根を寄せた。
 
 ホーブルグ要塞の一角にある教会。今日は軍上層部の娘の結婚の儀が執り行われていた。
 定例会議で皇族に嫁ぐことになった娘の事を自慢げに語り、式に出席するようしつこく勧めていたが、幸いにもアヤナミはその日、第5区で行われる軍事会議に出席する事になっていたので、下らぬ体裁と見栄だけの茶番に付き合わなくて済むと安堵していた。

 が、数日後、ご丁寧に赤い文字で「重要」と書かれた書類が参謀部に回ってきた。言わずもがな、それは結婚式への出席を促すもので、やむなくアヤナミは5区での会議をカツラギに代理で行かせ、自らは何の意味も、面白みもないない余興に出席する羽目になったのだ。

 己の欲を見栄で塗り固め、自分の地位を築くためだけに固執しているような狸共が、帝国のためだと言いながらこの国を動かしているのかと思うと、反吐が出る思いだ。一体何を考えているのか、頭を疑う。

 かく言う自分もまた、固執している物は違えど、そんな連中とある意味では同じなのかもしれないとも思うが、認めたくはなかった。自分自身の事なのに、その意図が誰の為のものであるのか、未だにわからなくなる事があるからだ。

 パイプオルガンの荘厳な音色が鳴り響く中、式は滞りなく執り行われ、後は教会から出てくる新郎新婦を見送るだけとなった。もう少し、我慢すればすべて終わる。だが、今のアヤナミの状態では、その少しの時間でさえも、果てしなく長いものに思えた。

「アヤたん、やっぱ戻った方がいいって。これだけ人でごった返してるんだから、抜けても目立たないし問題ないよ」

 ヒュウガはいつもより更に青白いアヤナミの顔を覗き込みながら、何とかこの場から離れようと諭す。が、それに対する返答はない。気力だけで踏み留まっているのだろう。こんな事に余計な労力を使わなくてもいいのに。今更ながらにアヤナミの律儀さには呆れる。

「意識飛ばしてからじゃ、遅いんだよ? そんな事になったらそれこそ大騒ぎになるし、フォローするのにも限界があるんだからさ。それに…アヤたんが意識飛ばすのはオレとヤってる時だけで……、ぃてっ!」

「戯言を…言う、な」

 ぴくりと身体が動いたかと思うと、次の瞬間アヤナミの肘がヒュウガの鳩尾を直撃する。容赦のない衝撃に一瞬息を詰め、折れかかる身体を何とか立て直して深く息を吐く。

「…自分で立ってもいられないくせに、そう言う事には反応できるんだ? …ほんとに余計な事にばかり体力使うんだから」

 腹をさすりながら揶揄するように言うと、力なくヒュウガを睨み返す瞳が揺れる。同時に寄りかかる身体の重みが増したのを感じた。

「あれ…?」

 己に縋るその身体が、いつもとは違う、どこか違和感があるような気がする。ちゃんと食事や睡眠を取らないせいで、多少の変化はあるにしても、何度もこの腕に抱いてきた身体だ。軍服越しではっきりとはわからないが、抱き心地がいつもと違うのだけははっきりと認識できる。

「…何、だ…?」

 ヒュウガの表情を訝しげに見る紫の瞳を横目に、アヤナミの何が違うのか確かめようとも思ったが、さすがにこの場で軍服を肌蹴る訳にもいかず、それ以前にこのままここにアヤナミを留まらせておくのは危険だと判断して、余計な思考を遮断する。

 その時、再び鳴り響いた鐘の音と共に、教会の重厚な扉が開き、歓声が湧き上がった。人の波が、後ろから押し寄せ、ヒュウガ自身、アヤナミを支えてその場に立っているのもやっとだ。

「いや、なんでも…。アヤたん、もう限界だよ」

 群衆の中に紛れているとは言え、アヤナミの純白の軍服姿はその容姿も相まって一際目を引く。 アヤナミが何とか動けるうちにこの場を離れないと、最悪抱き上げて運ばなければいけなくなる。もとより身長の割りにかなり軽い身体を抱き上げるのはさほど苦にならない。しかし、ここから居住区にある官舎まではさほど遠くはないが、目立ち過ぎる。

 前へ進もうとする人々の動きが収まるのを待って、ヒュウガはアヤナミの腰をしっかりと抱え直し、後退する。

 官舎にたどり着くまでアヤナミの意識が途切れないことを祈りつつ、遠くに見える純白のウェディングドレス姿の女を一瞥して、表情のない色を失った横顔に視線を移す。

――アヤたんに着せたら、綺麗だろうな。

 アヤナミの横顔を見ながら、思わず口に出してしまいそうになったが、そんな事を本人に言えばこの状態であっても、先程のように容赦のない一撃が飛んでくるのは明らかなので、心の中で呟くに留める。決して有り得ない事ではあるが、一度くらいそんな姿を見てみたいと思う。あらぬ妄想をあれこれと巡らせながら、二人は教会を後にした。
 

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