うたた寝

 教官に頼まれた用事を済ませ教室に戻ろうと、ヒュウガは外からの光をたっぷりと取り込むガラス張りの長い回廊を足早に歩いていた。と、眩しさに目を細めながら中庭の方へ目を遣るとアヤナミがひとり佇んでいるのが見えた。

 珍しい。いつもなら休憩時間は教室や図書室で過ごすのに。

 そう思いながら歩く速度を緩め眩暈がするくらいに照りつける太陽の光に晒されたアヤナミを、ヒュウガは見た。不健康なくらい色白でおまけに普段はどちらかというと顔色の悪いアヤナミに、ヒュウガはよく、『たまにお日様に当たった方がいいよ』と言う。だが実際にそんな姿を見ると、透き通るくらいに白い肌が焼けちゃったらもったいないな、と思ってしまう。どうにも矛盾しているが、心配と思考は別物だからどうしようもない。だいたい健康的な肌の色をしたアヤナミを想像できない。そんなことを思いながらヒュウガは完全に足を止めてその姿に魅入っていた。

 ひとりでいる時のアヤナミは近寄りがたい雰囲気を醸し出している。他人を寄せ付けない尖った孤高な雰囲気を纏っているせいもある。それに加えて彼の、まるで他の人間とは違った美しい容姿もそれを助長しているのかもしれない。まず、自分と同じ男なのだろろうかという疑問を抱く。華奢に見えるがそれほど身長が低いわけでもないし、顔は整っているが美少女系の女顔というわけでもない。どちらかというと中性的なイメージだ。それがまた異質に見える原因でもあるかもしれない。

 中庭には他にもたくさんの学生がいて、何人かで固まって談笑したりベンチで昼寝をしている者までいる。その中でもアヤナミは一際目を惹く存在感がある。同じに陽の光を浴びているはずなのに、そこだけ更にスポットライトが当たっているのではないかと見紛う程に浮き上がっている。最早同じ男か、というよりも同じ人間なのかと思うほどに神々しい。ここまで極端に思うのはヒュウガがアヤナミに傾倒しているという部分も多々あるが、恐らく他の人間も自分達とはどこか違うのではないかと漠然と感じているのではないだろうか。

 だから良くも悪くも目立つ。ヒュウガはアヤナミと一緒にいることが多いので滅多に聞こえては来ないが、アヤナミが影であることないこと色々と噂されているのは知っている。

 没落貴族の末裔だとかミロク理事長のお気に入りだとかは、またか、と思うほどよく聞こえてくる。しかしそれについてはほぼ事実なのでアヤナミは全く気にしていない。アヤナミが気にしていない以上、気に入らないとは思いつつもヒュウガは特に何もすることなく聞き流している。しかし、アヤナミがその容姿を武器に学校や軍に取り入っているなどという、事実とは異なる中傷めいた噂が多いのには怒りを通り越して呆れるほどだ。これが普通の目立たない容姿の男ならこんな馬鹿げた事を言われることもないのだろうが、アヤナミの容姿がそんな噂がいかにも真実であるかのように聞こえてしまうのだろう。それに、学業に於いては誰も文句を言える者が居ないから、アヤナミを貶める唯一の方法がそれしかなかったのかもしれない。――中にはそれを真に受けて実力行使しようとする勘違いした輩がいたのも事実だが……。

 そしてそれは、何年経っても変わらない。寧ろ学生というまだ自由で無責任だった頃の方が可愛げがあったかもしれない。手を変え品を変え、妬みによる中傷は軍にいる今の方が明らかに酷い。

――懐かしいなぁ。

 戻りたいとは思わないが、その頃の記憶は思い出すのが楽しい。まるで真綿に包まれているように……。

「ヒュウガ」

 遠くで呼ばれる声が聞こえて、ヒュウガは声のする方へ振り返った。

「…アヤたん。もしかしてオレ、寝てた?」

「テーブルに突っ伏して、どこからどう見ても寝ていたぞ」

「あはっ、お腹いっぱいになったからかなぁ」

 愛想笑いをしながら、ヒュウガは頭を掻いた。どうやら食堂のテラスで食事を取った後、眠ってしまっていたようだ。

「こんな日差しの強い中で、よく眠れるな」

「…ああ、そう、だね」

 日に焼けちゃったかなぁ、とヒュウガはサングラスをずらして脇に立っているアヤナミを見上げた。

「たいしてかわらんだろう」

 面倒くさそうに答えるアヤナミに、

「アヤたんはあんまり陽に焼けたらダメだよ。あ、帽子被ってるから大丈夫か。…で、なんかあった?」

 ヒュウガの姿が見えないからといってアヤナミがわざわざ探しに来ることなどないに等しい。それに、時計を見る限りまだ昼休憩の時間内だ。

「一三○○からの会議には貴様が一緒に出席する予定だっただろう」

「うん、わかってるよ。けどまだ早いじゃん?」

「今の調子で寝過ごされると困るからな」

「心配させちゃった? ゴメンね」

 悪びれもせず、軽くアヤナミに返すと、ヒュウガは立ち上がった。

「今、学生の頃の夢見ててさ」

「……」

 学生の頃の話を持ち出すと、いつもアヤナミは思い出したくもないとでも言いたそうに眉を顰めて嫌そうな顔をする。若くて未熟だった学生時代が人生の唯一の汚点とでも思っているように。

「懐かしいよね。たまに思い出すのもいいかもよ」

「そんな話、しても貴様を付け上がらせる結果になるとしか思えん」

「あ、わかってるんだ。やっぱ最初が肝心、ってヤツだよね」

「…そうだな。貴様を許したのが、ただひとつ私の落ち度だ」

「けど、ちゃんと役に立ってるでしょ」

「そうでなくては困る」

 捨て台詞のように言って、アヤナミは踵を返した。

「行くぞ。10分前だ」

「りょーかい」

 ヒュウガは先に歩き出したアヤナミを追い越すと、掠めるように唇を触れ合わせた。そしてそのまま先に進み、わざとらしく恭しい態度を取ってテラスのドアを開ける。

「どうぞ、アヤナミ参謀長殿」

「…貴様は時と場所を考えろといつも言っている」

 人がまばらだとは言え休憩時間の食堂内だ。当然だろう。アヤナミはすれ違いざま、視線だけをヒュウガに向けて睨むが、それ以上は咎める事をしなかった。

「だから軽く済ませてあげたじゃない」

 ドアを閉めてアヤナミの半歩後ろにピタリと付けたヒュウガはからかうように耳元に囁きかける。会議の時間も差し迫っているのでアヤナミが反撃に出ないと踏んでの行動だ。

「……」

 恐らく会議が終わった後、アヤナミのザイフォンか鞭によって確実に床か壁とキスする事になるといういつものコースだろうが、会議でのヒュウガの働き次第ではそれを免れるかもしれない。

「オレ、頑張っちゃうよー」

 切り殺したくなっちゃうかもしれないけど、と物騒な事をさらりと言いながらヒュウガは笑う。

「ストレスの発散なら別のところでしろ」

「アヤたんが相手してくれるなら」

「貴様次第だな」

 てっきりぴしゃりと切り捨てられる言葉が返ってくると思っていたのに、肯定するような言葉にヒュウガは目を丸くした。

「…やっぱオレ、頑張んなきゃダメじゃん」

「期待している」

 どういう意図が含まれているのか量ることはできないが、思いのほか素直なアヤナミの反応に、ヒュウガは笑みを溢した。

「そうだなぁ、やっぱ今日はゆっくり昔話でもしたい気分かも」

 アヤたんもそんな気分なんじゃない? と小声で呟いた後のヒュウガの表情は、それまで貼り付けていた笑顔とは全く別の顔だった。




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